2022年11月18日
教えられるより、感じていたい。
毎朝、起きたらすぐに景色を眺める。
目線のはるか向こうに見える養老山脈。
名古屋からでもハッキリと見える朝もあれば、雨は降っていなくても空気がガスっていてまったく見えない朝もある。
先日は、山脈の尾根すじまでクッキリと綺麗に見えた。
なぜか。
そうか、前日雨が降ったからだ。
テレビを付ける。するとアナウンサーがこう言っている。
「昨日一日中雨が降ったので、今日は空気が澄んでいて清々しい朝です」
世の中には、教えられることが多くて、自らが“感じる”ことが少ないように思う。
もし、ぼくが今朝起きて外の景色を見ずにアナウンサーの声を聞いたら「今日は空気が澄んでいるのね、あ、そう」で終わってしまったかもしれない。
教育現場では「体験学習」と言われて久しいけれど、やっぱり教えられるだけでは不十分。
どこかの過程に“感じる”工程が必要だと、綺麗な景色を見ながら心からそう思う。